
上海龍華寺
入場券:RMB10元
三国時代の呉王孫権によって、三国呉赤鳥五年(紀元242年)に建立したとも伝えられる、上海で最古の寺院。龍華寺という寺名は、龍華樹の下に弥勒菩薩を安置したという故事に因む。龍華寺のシンボルは、高さ40メートルの仏塔。何度も建て直されており、現在の境内の建築は光緒年間に建造されたもの。最大規模の仏教寺院で、敷地面積は2万m2以上。弥勒殿、天皇殿、大雄宝殿、三聖殿、方丈殿が並び、門前には龍華塔がある。龍華寺の建築は雄大で、彫塑は精美、仏具は珍しいものが多く、花々はゆったりと咲き誇っている。境内には数多くの書道名人の肉筆題字があり、大変有名で貴重なものである。 詳細のご紹介:竜華寺は竜華鎮に位置しております、竜華鎮は昔から有名な観光地で、多くの観光客や信者がそこに足跡を残しており、また、たくさんの詩人たちが竜華をたたえる多くの詩と文章を書きました。 旧歴3月3日は竜華の縁日で3月15日は竜華参りの日でございます。12月31日の夜に竜華の鐘聞くという行事が毎年行われております。 伝説によりますと、今から1700年前の三国時代のとう東呉赤鳥5年つまり記元242年建立したものでございます。話によりますと、この竜華寺は三国時代の有名な人孫権の母親である呉国太がここに来てから造られたそうでございます。呉国太は夫に死なれて、悲しんで毎日家に閉じこもっていました。食事もろくにせず、悲しみの中で暮らしを送るため、体がだんだん弱くなり、やせ細ってしまいました。孫権は母のこの様子を見て、どうすればいいかと悩んでいました。ある日、宮殿にいる母に挨拶に行きました。宮殿は揚子江の南側の北固山という所にあり,山と川に囲まれているので、そこから見る景色はこの上もないものでございます。目の届く限り、遠くまでくいまなく景色を眺めました。夕焼けに映えた揚子江が帯のように横たわり、川面には白い帆が点点と散在し、金色の空をカモメが悠々と飛び回って、それはまことの人人をうっとりとさせる絶景でございました。それを見て気持ちがすっきりした孫権は急いで宮殿へ行って、父の形見を見ながら悲しんでいる母に、悲しみを忘れて、各地を回り、天下の美しい景色を見たらどうかと勧めました。 息子の話を聞いた呉国太は一家を連れて遊覧船に乗って揚子江下りをりました。ある日、遊覧船は揚子江の河口までやっきました。現地の人の説明によりますと。近くにある黄浦江は戦国時代の春申君である黄歇が農民を集めて掘らせたたもので、両岸の景色がとても美しいものだそうでございます。呉国太はその説明を聞いて「では、黄浦江にはい って見てみましょう」という付けました。船が黄浦江に入ってから、案の定、まったくその話の通りでございます夕方、呉国太一行は大陸して泊まることにしました。この辺りには赤い桃の花や緑一杯の柳がみられ、かまどの煙突からは煙が悠々と立ち昇っております。この黄浦江は睛れた日は天と水は一色になり、風雨の日には大波が立ち、本当になんとも言えないすばらしい景色でございました。両岸の景色に気をとられた呉国太は何と数ヶ月も泊まりした。帰るときになっては、体もだいぶよくなりました。黄浦江を離れて家に帰ってからも、黄浦江のことを懐かしく思いました。呉国太が仏教の信者なので、親孝行の孫権は家人を派遣して黄浦江のほとりお寺を造られました。 唐の末期にかけては連年の戦争で、竜華寺は壊されました。宋の時代になって、呉越王銭俶船に乗って、黄浦江に夜泊していると、荒野に線香とロウソクの光が夜空に閃き、どこからともなく、微かにお寺の鐘と大鼓の音が聞こえてきました。不思議と思った呉越王は人を派遣して調べてさせました。その結果、そこは昔竜華寺のある場所だということがわかりました。それで、王は大盈庄務将の張仕仁に竜華寺を修復するようにと命じました。宋の治平元年「紀元1064年」、竜華寺が再建されました。いまでも竜華寺には「空相寺」あとは「空相寺」と改名されました。明の万暦年間「紀元1573年ー1620年」にかけて、竜華寺という名が回復されました。清の同治初年に太平天国の蜂起軍が上海に進入りたので、清の政府軍が竜華寺はまた、戦争の害を蒙りました。清の光緒元年「紀元1875年」に、竜華寺は立て直されました。 竜華塔は黄色い塔であり、塔の起源はインドで、紀元一世元一世紀に仏教と共に、中国に伝来したのです。仏教の経典によると、仏教の開祖であるお釈迦様入減した後、弟子たちはそ遺体を荼毘にして、84000粒の舍利子を獲得し、それを各地の塔に安置して祭ったのでございます。これが塔の起源でございます。その後一部の高僧がなくなっなて後も、塔を造っての遺骨を納めるようになりました。 中国の仏塔形が多く、平面的なのには円筒形や鐘の形などのものがございます。大きく分類すると、楼閣式、密檐式、過街式、ラマ式、金剛宝座式、亭閣式のものがございます。竜華塔は七層の四方八角形で、高さ40,64メートルでございます。なぜ塔の多くは七層になっているのかと言いますと、お寺の塔を造ったら、各層に七つの宝といわれる金、銀、真珠、瑪瑙、ハマナス、シャコ「熱帯の海底に生息している軟体動物」の中の一つを納めることになっているので、塔を七層にしたわけでございます。 竜華寺は不幸にも火災に見舞われ、一階の欄干の部分が焼き払われました。その後、修復はしましたが、外観は前と大部分変わりました。周りの欄干は鉄?コンクリートのものになりました。1953年、上海市人民政府は竜華寺を修復し、宋の時代の姿再現させました。塔の上にひょうたんのようなものがあり、宝瓶と呼ばれております。宝瓶の上に鉄の路盤と鉄の輪などがございます。これからえのものは塔刹と言います。塔刹の高さは8メートルで、重さは10トンもございます。中国ではレンガ木で造った古い塔には、ほとんどみなこのような塔刹が取り付けられております。塔刹のてっぺんのやや下に、また4本の鉄のくさりがあって、それは「浪風索」と言って、屋根の四つの角と繋がっており、塔刹を固定させる役割がある。 竜華寺は仏教の名刹で、上海辺りでは竜華寺と名は一番歴史の古いお寺でございます。竜華寺と言う名前の由来は仏教の経書「弥勒上生経」と「弥勒下生経」によりますと、お釈迦様の弟子である弥勒菩薩は兜率天で修業していましたが、それが終わりましたら、兜率天からこの世に降りて、竜華樹の竜華を取って名づけられたのです。









































